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青森きっての熱いハートの持ち主たちが日々送る奮闘記


by nonscafe69
こんばんは、小鹿です!


店内の「ホルモン健ちゃん」内にズラリと並んだドリフのポスター・・・!

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うちの社長はドリフが大好きなんです!



ドリフの紹介!!


一般的に知られているのは、いかりや長介が正式リーダーになった1964年のドリフ再結成以降(新生ドリフ)。
結成は1957年(1955年または1956年の異説あり)。
結成当初からいかりやがメンバー入りするまでは音楽バンドとして活動していた。
楽曲主体による音楽ネタなどを得意としており、テレビや映画出演が多くなるにつれ、コミックソング、コントやギャグが主体となっていった。

いかりやが正式リーダーに就任した2年後の1966年にはビートルズ日本公演の前座を務め、僅か40秒の演奏時間ではあったが、前座用のステージが別に作られていたにもかかわらず、ドリフターズだけはビートルズと同じステージで演奏した。
これをきっかけに、ドリフが注目されるようになる。
なお、加藤茶は、ビートルズの前座はしたものの、警備が厳しくビートルズのメンバーには会えなかったと語っているが、いかりやは自著で(ドリフ側が)舞台から退場するときにすれ違ったと記している。

コント55号(萩本欽一・坂上二郎)
桂三枝
横山やすし・西川きよし

らと共に1970年代から1980年代にかけて日本のお笑いをリードしてきたエンターテイナーである。


前期バンド時代のメンバーは、当時のバンド移籍文化もあり、移り変わりが激しかったが、新生ドリフになってからはメンバーはほぼ固定され、5人の構成が取られるようになった。
荒井注の脱退宣言の際には志村けんが正式見習いとして加入し、一時的に6人構成となった。いかりや没後には新メンバーを加入させる予定は無く、現在4人の構成となっている。

新生ドリフ初期メンバーの名付け親は、当時の所属事務所・渡辺プロダクションの先輩格に当たる「クレージーキャッツ」のリーダー、ハナ肇だった。
ドリフのメンバーにしてみると、ハナの独断に満ちた判断で適当に名付けられた感じがしたようだったが、逆にインパクトがあり、今でも各人の名が覚えられる結果となった。
なお、後に加入した志村は自分の父親の名前より芸名を決めた。

志村が正式メンバーになる前後でチームの笑いのパターンは変化している。
ドリフ再結成直後は高木ブーを中心にした笑いだったが、すぐに加藤茶を中心としたコントに変更され、

のっぽ(権力者役のいかりや)
でぶ(無芸大食の高木)
めがね(風見鶏、インテリ役の仲本工事)
はげ(ふてぶてしいおじさん役の荒井)
ちび(いじめられ役の加藤)

という、吹き溜まりの集団内での人間関係というチームワークで、加藤がオチを取っていた。それと同時に

「いかりやから加藤を中心として4人共にいじめられながらも表向きは従い、機会を見ては権力者であるいかりやに前述のキャラクターを生かしたそれぞれの方法で時には共謀して歯向かい、形勢がいかりやに戻るとその4人がそれぞれの個性をもった方法でばらばらになり、要領の悪いメンバー(加藤)だけがバレて犠牲になる」

といった社会的な縮図を指摘する者もいる。
時折、加藤といかりやとの権力争いの結果、リーダーの座が逆転したり始めから加藤がリーダーとなるパターンもあった。
また、音楽の要素を残し、笑いに取り入れている時代でもあった。

後期は、まともでない役のメンバー(特に志村)に、いかりやが突っ込みを入れたり、振り回されるという笑いのパターンだった。

イントロの高木
つかみの仲本
オチの加藤
さらに加藤のオチよりパワーアップした奇天烈な行為をする志村

という各々の順番でいかりやが突っ込みを入れていった。しかし、荒井の脱退から志村への交代で定着するまでには2年近くもの時間がかかった。
それまでの荒井の人気の高さと同時に、志村を前面に押し出すまでの他のメンバー、特にいかりやと加藤の力量とキャリアによるサポートによるものであり、この頃には3枚目としての仲本も強調されてきた。一方で志村はいかりやの演出を無視してアドリブでギャグを入れる事がしばしば見受けられた。
リハーサルでダメ出しをされても、生放送のドサクサに実行してしまうこともあった。
これは、「緻密なストーリーと演出に基づいたドリフコント」を若干ながら崩すこととなる。

撮影用ではあるがケーキや鶏卵、牛乳などといった食べ物を粗末にするネタ、下品なコントが多く、また「金たらい落しや一斗缶で殴るなど、子供が真似ると危ない」などという名目の内容も含めてPTAの目の仇にされたが、メンバー以外の他人の誹謗中傷をネタにすることはなく、かつ素人いじりをしなかった。


伝説の人達ですよね!

ここで、一人ぼっちのヒゲダンスショーの始まりです・・・。


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いっくよ~!!
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さあ、うまく刺さるか・・・
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・・・!!!!




























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キタ-----------------------------------------!!!!!!!!!!













ダメだこりゃ
# by nonscafe69 | 2009-01-13 01:32
本日オススメするお酒はこちら!


「黒糖パイン梅酒」

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黒糖梅酒にパインを加えた南国~♪な梅酒ですよ~☆
甘さものど越しも全て◎!



そして、もう一本は沖縄から
旧「久米島」の角ボトル!


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レア中のレアじゃないですか!
家族のみでラベル貼りまでやってるなんて最高に素晴らしい泡盛じゃないですか?
しかも当店にあるのは、世代交代する前の先代が仕込んだ「久米島」です!
この一本は特に希少価値が高いですよ☆
とても飲みやすく、透明感溢れる飲み口は「久米島」しか出せませんね!


まだ驚くのは早いです!

なんと!

この「久米島」は、蔵元がイマイチ納得がいかない出来の時は、出荷しないんです!

収入がなくなるんですよ!(涙)
けど、売上じゃないんですよ!
これが職人のこだわりではないでしょうか!


当社ノンズカフェと生き方が似ている所もあり、私がお客様に自信を持ってオススメする一本ですね☆


自分が自信持てる商品だけをお客様に提供する!
当たり前のことをこれからも当たり前にやっていきたいですね!

                             大日本ホルモン酒場 和田ちゃん
# by nonscafe69 | 2009-01-12 23:28

沖縄ホイル焼。

コンバンハ、シャオルー・ロー(小鹿亮)デス!


シャオルー、コレダイスキネ!!


とろ~りチーズの沖縄ホイル焼!
沖縄ホイル焼。_e0132147_23105217.jpg



わかりにくいかもしれませんがホイルが炎に包まれています!
インパクト大!お客様は驚愕の表情です!

火が消えたら完成。
ホイルを開けると・・・



めんそ~れ!!!!

ゴーヤに詰められたスパムの上にトロトロのチーズがたっぷり!





中身はお客様ご自身の目でお確かめください・・・!
# by nonscafe69 | 2009-01-12 23:17
どーもー。ハード亮でーす。


おととい完成したハンサム新聞最新号です。(アップが遅れました↓↓)

ハンサム新聞。最新号!!_e0132147_22552629.jpg



15日から新メニューになるんです!
明日は当店お休みをいただくので14日が現メニューの最後の日です・・・。
ハンサム食堂に異動になって約半年。
このメニューとは毎日共に過ごしてきたのでなんだか寂しいですね。
これからは新しいメニューをパートナーとして頑張っていきます!
ちなみに・・・ながやち主任の手書きです!魂がこもってますよ!

18日からは感謝祭が始まります!
チケット欲しい方!まだ間に合います!ぜひ買っちゃってください!!

いつでもイベント満載のノンズカフェグループ。
青森を引っ張っていきますよ!!
# by nonscafe69 | 2009-01-12 23:07

昭和を生きた偉人伝説。

発明家
【穐元 彦麻呂(あきもと ひこまろ)】  享年:16歳(1971年~1987年)

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・1971年
 父:清麻呂 母:ふみ の次男として大阪で産声を上げる。

・1975年 (4歳)
 父の蒸発、母からの虐待が原因で祖父:泰蔵に引き取られる。
 兄:君麻呂と生き別れとなる。

・1980年 (9歳)
 急激な視力低下のため、眼鏡をかける。

・1982年 (11歳)
 いじめが原因で登校拒否となる。

・1983年 (12歳)
 勇気を出して登校したがいじめられ眼鏡を壊される。
 それを自身で修理したのをきっかけに発明家の夢を抱く。

・1986年 (15歳)
 発明品「頭が良くなるかもしれないメガネ」が兄の手によって流通され、100万個の大ヒット。
 一躍、時の人となり全世界から注目される。
 商品は政府のバックアップで特許を取得。

・1987年 (16歳)
 父と再会。特許の所有権をめぐっての口論の末、亡き人となる。
 最後の発明品「頭が良くなるメガネ」が公表され45億個の爆発的ヒット。
 社会現象を巻き起こす。 

その遺産相続をめぐる問題は現在も解決していない。




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彦麻呂の机の奥から発見された「頭が良くなるメガネ」。
現在は地元大阪の某博物館で常時展示されている。
# by nonscafe69 | 2009-01-12 01:26